灯台を目指して

今日は何もしなかった。
扇風機と窓から入ってくるわずかな風を頼りに、スマホも放置してただただ横になってた。
動くことに対して身体が拒絶反応する。
身体の中で、心の中で、どんどんと湧き上がる感情が整理できなくなった。
原因は昨日、一瞬ふと見えた京都タワーだと思う。

昨日はFashion Cantata from KYOTO観覧のため妻と京都へ。
車で滋賀県の膳所駅まで行き、そこから10分で京都に着く。
京都駅中央口を出ると、目の前に京都タワーがある。
京都タワーのデザインが好きで、いつもじっくり見てしまう。
会場にて受付を済ませ、開演までまだ時間があったので京都駅ビルを散策することに。
駅ビル内を歩いていると、壁と壁の隙間から一瞬、京都タワーが見えた。


なぜか「ハッ!」とさせられた。
立ち止まり、その場所まで戻った。
なんだかよくわからなかったけど、京都タワーに語りかけられた気がした。
その場所から見る京都タワーがなぜかすごく良いと思い写真を撮った。

帰りの道中、運転しながら「この感情はなんだろう?」と自分を探ってみたものの、よくわからなかった。
そして今朝、目覚めた瞬間から何もしない、できない、と思った。

約30年前も京都タワーを見上げていた。
ここで生きる、と思っていた。

そして大人になった今、また見上げている。
僕にとって京都は近くて遠いところ。
遠いけど近そうに見えるところ。
いや、遠いな…。
何度も心が折れそうになった。
でも、昨日見た京都タワーは、確かに僕に語りかけた。
「近いか遠いかなんて、お前次第だ」と。

京都タワーは1964年に竣工された。
デザインコンセプトは『まちを照らす灯台』

灯台の光は、迷わないための目印。
京都タワーは、僕が道に迷わないように見守ってくれてるのかもしれない。

「灯台の光がときどき場所をかえるように見えたとしても、私はその光をしっかりと見ていよう。そうすれば最後には無事に岸に着くことができるだろう。(ゲーテ)」