アマダレイシヲウガツ

約二十数年前、東京の探偵社本部に入社した。

なぜか広報部に配属になった。

ここが今のデザインの仕事の原点なんです。

日本中に支社だったり支部があり、毎月1回全国の支社長たちが本部に集まる定例会議があった。

まるで反社集団で、支社長たちの多くは探偵業の他に別の本業があった。

地上げ屋、闇金などなど。見た目もすごく怖い。

定例会議が終わると、幾人かの支社長たちは息抜きに僕らのいる部署に遊びに来た。

僕はコーヒーをお出しして話に耳を傾ける。

人間社会って、こうなんだなと驚愕したし落胆もしたけど、それよりも皆、話がおもしろい。

中には嘘も混じってるだろう。盛っているだろう。

でも、ユーモアのセンスはすごかった。

二十歳そこそこのクソガキだったけど、いつもニコニコと接してくれた。

広報部での仕事は主にwebでの企画だった。

まだ当時はweb黎明期で、SNSはもちろん無くブログが出始めた頃だった。

コンテンツを企画して雑誌社に売り込んだり。雑誌での連載コラムを書いてたこともあった。(隣のページは鳥肌実だったw)

社内では20人ほど派遣社員のwebデザイナーやグラフィックデザイナーがいて、彼らと打ち合わせをしたり、外部の制作会社と打ち合わせをしながらコンテンツを仕上げた。

しかし!派遣社員さんたちがどんどん辞める。すぐ辞める。

怒号が飛び交い、椅子が飛んでくる職場。

怖いから仕方がないよね…。

しわ寄せが僕らに来る。

毎日夜中の2時くらいまで作業に追われた。

でも、それがきっかけでグラフィックデザインに初めてふれた。

会社の近くの本屋で参考書を立ち読みして記憶し、実践する。

夜中に尾道ラーメンを同僚と食べ「今日もお互い無事だったねw」と祝う。

そんな日々だった。

しばらくすると、僕に試練が訪れる。

詳しくは言えないけど、あれこれあって帰郷せざるを得なくなった。

現実についていけず、心の整理が全くできないまま帰郷した。

でも、東京での危機は探偵社の方々に本当に救われたと思う。

帰郷後、心を壊し、うつ病と診断された。

診断を受けた時「クソッタレ!」と怒りと情けなさが込み上げ、その足でH.I.Sへ。

約1ヶ月、友達を頼ってロサンゼルスへ行ったww

当時、ロスまで往復4万円だった(安!)

帰宅後、工事現場での雑用工やコンビナートで産業機械の修理工をしたり、日陰の世界に身を置きながらグラフィックデザインを独学で学んだ。

今、すごく思うことがある。

デザインって、ソフトの使い方とかテクニックとか、実はそんなに大切じゃないのかなと。

もちろん大切なんだけど、やっぱりいろいろな経験が大切だと思う。

その経験から何を感じたのか。

その経験からなぜそう感じたのか。

そこが大切じゃないかなと。

欧米では若者だけでなく40代でも『デザイナー』をなかなか名乗れないと聞いたことがある。そんな簡単な職業じゃない、と。

感性を養い、審美眼を持ち得ないとなれない職業だ、と。

遠回りなのかもしれないけど、何が近道なんて僕にはわからない。

雨垂れ石を穿つ。

僕は僕でしかないし、他人にはなれない。

だから悔しいけど、自分を生き続けるしかない。